無理することが大人じゃない。ただ、一歩一歩、成長し続ける
あけましておめでとうございます❢❢
本年もよろしくお願いいたします。
ということで…こんにちは、つむぎです😊
お久しぶりの投稿です。
今週のお題が「大人になったなと感じるとき」だったので、なんだか思うところを書けそうだなと思って、パソコンに向かい始めました。
いつになっても子供だと思う時
テーマと真逆ですが、最近「自分はまだまだ子供だなぁ」と感じました。
今年ついに40歳にもなるというのにです🤣
それはどんな時かというと、
「自分の思い通りにいかなくて、イライラしてしまうとき」です。
ただのわがままじゃないか❢という🤣
もちろん、「今日の夕飯はこれが良いのに、旦那様に合わせないといけない❢」なんて、本当に子供っぽい時も……あるときもあります(笑)
けれども社会で働いていたり、学生という肩書があるときに幅を狭められてしまうこともありますよね。
自分はこうしたらもっとよくなるのではないか?
そう思って企画したり、チャレンジしたり、要望を出したりしたりするけれども、
「予算を取ってないから今度ね」
「それより先にすることあるでしょう」
「君にはまだ早いよ」
なんて言われてしまったり…。
そんな時に、「自分は信頼がないんだ…」と考えてずーーんと気持ちが落ち込んだり、反発したくなったり、いじけてふて寝してみたり……。
そんな自分を見つめて、
「あぁ…自分って子供だなぁ」と思います。
今の自分に必要なことを見つめ直すようになったとき、大人に近づく
そんなとき、少し時間が経って心が落ち着いた時に、もう一度考えるんです。
あのメッセージから私が本当に学ぶべきことはどんなことだろうか?
例えば、予算がないから…と言われたということは、言外に
「そのプロジェクトには他の予算を削って投資するだけの価値はない」
という判断だったのかもしれません。
自分の伝えたかったことを伝える技術や方法が間違っていたのかもしれません。
「君にはまだ早いよ」
ということは、子ども扱いされている、能力がないと思われている…というだけでなく、もっともっと伸ばせる能力があると思われているのかもしれないし、その行動を起こせると思ってもらえるような行動をしていないのかもしれません。
もしかしたら考えに固執しすぎて、周りが見えていないのかもしれません。
そんな風にどんな状況にあっても、学ぶ事ができます。
アプローチの仕方を変える必要があるとか。
周りの人ともっとコミュニケーションや助け合いをしていく必要があるとか。
綿密な企画や、行動に起こすまでの物理的な準備が必要だったりとか。
「相手がわかってくれない❢」
という前に、自分にもできることがあるのです。
そのように考えられるようになったときに、
「あぁ、少し成長できたかな」
と思えるようになります。
最近読んでいる面白い本
最近図書館で面白い本を借りました💡
こちらの本です。
絵がミュシャ風で綺麗だったのと、聖書の中ではあまり多くない女性に焦点を当てているのが面白くて、うっかり借りてしまいました😊
この本では聖書に書かれている内容に添って、聖書に出てくる女性たちがどのような行動をしていったかを紹介しています。
その解説について、すべてが正しいとか正しくないとか、そんなことは読む人が感じるままに、色々考えていけばいいかなと思ったので今は触れませんが…。
私がすごく納得した部分だけを少しご紹介したいと思います。
「聖書におけるヒロインのものがたりは、思いのほかドロドロしている。
…………どうしてそんな話が聖書にあるのかと首をかしげたくなる。
ところが、そのような経歴の女性たちが『マタイによる福音書』では、イエス・キリストの男性の先祖ばかりの系図で名指しされるという特別の地位を得ている。
…………聖書のものがたりは残酷な現実をそのままに語る。だがそれでも希望を失わなかった女性たちがいたことは驚きでさえある。絶望的な時代状況の中で神と対峙し、未来を信頼することをやめなかった女たちがいたのだ。」
はじめにの文章から抜粋しました。
すごく心に響きました。
現在の女性も、もちろん男性も、たいへんな苦境にいらっしゃる方は多いでしょう。
けれどもそれは決して今の時代が特別なのではありません。
悩みの種は全然違うかもしれませんが、いつの時代の人も、たくさんの悩みや絶望するような状況になることもあるでしょう。
聖書の中でもそのことについて触れられています。
聖書の中に出てくる多くの人たちは、決して完璧ではありません。
預言者と言われた人物さえ、間違いも起こしますし迫害も受けますし、失意のどん底になるような状況にある人がいます。
このはじめにのメッセージで気付かせていただけたことは、そのような状況の中でさえ、人は神様を求め、希望を見出すことができるということです。
そしてそのような人を神様は認めてくださるということです。
私たちが百点満点を取らないと認めてくれない。
神さまは決してそんなお方ではありません。
大切なのは、今の私たちの状況の中にあって、最善をつくす努力ができるかどうかです。
私たちを慰めてくれる聖句
聖典には私たちを励ましてくれる言葉がたくさんです😊
今日は、努力をしたのに結果がなかなか出ない…むくわれない…そんな風に思ってしまう時に私たちを励ましてくれる聖句をご紹介します♫
これらのことはすべて、賢明に秩序正しく行うようにしなさい。人が自分の力以上に速く走ることは要求されてはいないからである。しかしまた、賞を得るために勤勉に励むのは必要なことである。したがって、何事も秩序正しく行うようにしなさい。
(モルモン書 モーサヤ書 4章27節)
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。
(新約聖書 ピリピ人への手紙 2章16節)
わたしヨハネは証しする。わたしは御父の、恵みと真理に満ちておられる独り子の栄光としての、すなわち世に来て肉体に宿り、わたしたちの中に住まわれた真理の御霊の栄光としての彼の栄光を見た。
また、わたしヨハネは、彼が最初から完全は受けず、恵みに恵みを加えられたのを見た。
彼は最初から完全は受けず、恵みに恵みを受け続け、ついには完全を受けられた。
(教義と聖約 93章11~13節)
私たちは、何歳になっても人生一年生です❢
失敗だってします。
でもそこから学べばいいんです。
いつも成功じゃなくていいんです。
努力していけば良いんです。
だから、諦めないでいきましょう。
絶望ではなく、新しい希望を探しましょう。
無理をせず、自分のペースで、ゆっくり進んでいけば良いんです。
自分を責めずにいきましょう。
前を向いて歩く。
足を一歩前へ出す。
それを繰り返していきましょう。
どうかこの大変な状況下にあっても、みなさんが希望をもって生活できますように、心から願っています🍀
幸せ倍増計画✨毎日感謝の日記をつける❢
こんにちは、つむぎです😊
皆さん、毎日幸せですか?満足していますか?
もっともっと幸せになりたくないですか?
というと、なぜかとっても怪しさが出てきますね🤣
けれども、日々のほんの少しの心がけで、
私たちは今より幸せになることができます♫
前回の記事で、
今までの辛いことは全て、これから喜びを感じるためにあった❢
という内容のことを書きました。
今日はそれに続いて……
どんな風に過ごしたらもっと喜びを感じられるのか?
について、私が感じていることをしたためたいと思います😊
あなたの意識はどこに向けられていますか?
TVやSNSのニュースを見ていると、見ているだけで凹むような記事がありますよね。
感染者拡大。
イベント中止。
芸能人の不倫。
殺人事件……などなど。
多分、報道されているものって、悪いニュースの方が多いと思います。
もちろんそれだけ注意喚起する必要のあること、というのもありますが…
でもそれらを毎回毎回見ていると……
だんだん今後の人生が不安になったり、希望を持てなくなったりしてきませんか?
そしてさらに、悪いニュースにばかり目が行くようになってしまうのです。
カラーバス効果…という言葉があります。
人は自分の興味のある部分に意識を向けてしまうのです。
最近私は車を買いました🚘✨
それまで町中であまり見かけたことがないと思って、目立つんじゃないか❢
と、その車にしたのに、いざ購入してみると、今までよりも自分と同じ車がたくさん走っている気がしてくる。
そんな経験ありませんか?
それは自分の興味のあるものが今までより目に入ってくる、カラーバス効果が発揮されているからです。
これと同じ効果が色々な部分で発揮されます。
そう、悪いニュースばかり見ていると、そのようなニュースにばかり目が行ってしまうのです❢
これに打ち勝つには、自分の意志で、違うものに目を向けていく必要があります。
意識を【良いもの】にフォーカスする❢
こんな聖句があります。
『すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
…………
すべてのものを識別して、良いものを守り、あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。』
(新約聖書 テサロニケ人への第一の手紙5章18節)
『すべてのことを感謝して受け入れる者は、栄光を与えられるであろう。
また、この世のものも百倍、いやそれ以上、加えられるであろう。』
(教義と聖約 78章19節)
聖典には多くの個所で感謝をするように勧めています。
それは何故でしょう?
殺人事件のニュースにばかり目が行っている時……感謝の気持ちが溢れてくることはありますか?
不倫のニュースを見ている時は?
毎日感染者の確認をするときはどうでしょう?
感謝よりも、
「これから大丈夫だろうか?」
「自分の家庭は大丈夫と言えるだろうか?」
「怖い時代になった…」
そんな気持ちの方が出てきてしまいませんか?
もちろんすべての人がこちらに当てはまるわけではないかもしれませんが、
多くの場合はそうなりがちになってしまうことと思います。
感謝するということは、自分に与えられた【良いもの】、【良いこと】に焦点を当てる作業です。
今日も美味しいご飯が食べられる😋
暖かい家で過ごせる🏠
家族でケンカもなく過ごせた😊
大好きな音楽を聴ける♫
小さなことで良いんです。
そんなうれしいことを、意識してみていきましょう。
自分で意識して良いものに目を向ける時、同じようにカラーバス効果が生まれます。
ニュースは良いニュースに目を向けるようになります。
毎日の小さなうれしいことに気付きます。
小さな幸せが積み上がります。
周りの人の思いやり、愛情に気付きます。
意識を向けることで、自分がどれだけ恵まれているのか実感できます。
まだまだ広がる、幸せの輪〇❢
感謝することを見つけるということは、うれしいことを見つけるという事。
それによって、自分に与えられている祝福を実感します。
それと同時に
それを与えてくれる人にも気づけるようになります。
毎日美味しいご飯が食べられることに感謝❢
そう思った時に少し立ち止まってみてください。
それって、誰のおかげですか?
ご飯の用意をしてくれる家族だったり。
食材を作ってくれる農家さんや漁師さんだったり。
この大変な状況下でも、頑張って働いてくれるお店の人だったり。
購入するためのお金を稼いでくれる家族だったり。
社員として働かせてくれる会社だったり。
本当に色々広がっていきます。
この世は一人では生きていけないので、たくさんの【人のおかげ】があちこちにあります。
それに気づいたら、周りの人にも感謝を伝えたくなりませんか?
直接「ありがとう」を言うのは恥ずかしくても、
いつもより少し、優しく接することができたりする気がしませんか?
そしてあなたに優しくされた人は、やっぱりまた優しい気持ちになります。
そして優しくできる人が広がっていきます。
そんな風に毎日を過ごしませんか?
え?
優しく接したのに嫌な態度を取られたら一気に気分が悪くなる?
そうですね。
その場合は、そのやられた行為にはフォーカスしないで、また別な良いことを探しましょう。
そうやって、自分の興味を良いものに向ける訓練をするのです。
それで、幸せは確実に増えます。
今まで気付かなかった幸せに気付けます。
家族の大切さにも気づけます。
毎日幸せにいきましょう✨
幸せを拡散するメリット✨
幸せになったら、可能な範囲でその感謝や幸せをシェアしましょう♫
私事ですが、
最近教会の指導者からの勧めにより、私の周りの友人たちが毎日感謝を示した投稿をしています。
そうするとどうなるか………
SNSを開くごとに幸せな投稿であふれているのです❢
そうするとどうなるか……
なんと自分で努力しなくても、幸せな投稿、良いものへと、自然に焦点をあてていくことができます°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
ぜひ一度その投稿を見てみて下さい💖
#GiveThanks
#givethanks
#感謝のキモチ
などを使用して、色々なSNSで投稿されています。
まずはハッシュタグ検索して、それを見てどんな気持ちになるか、ぜひ試してみて下さい✨
どうかあなたが、そしてあなたの周りの方が、
今日もたくさんの幸せに気付くことができますように💕
みんなで、幸せになりましょう🍀
今までの人生、今の辛いこと、全部全部が、幸せになるための準備期間だった❢
こんにちは、つむぎです😊
あ~もう全部嫌になっちゃうなぁ。
なんで自分ばっかりこんな目に合うんだろう。
いつまでこの辛い時期が続くんだろう。
そんな風に思ってしまう時期、ありますよね。
私もありました。
そんな私も、今はその経験が、幸せや喜びを感じるために必要だったんだ❢
と、気付くことができました。
今日は、私たちが辛いことや悲しいことをどうして経験する必要があるのか。
それを教えてくれる聖句をご紹介したいと思います✨
この世には反対のものがある
生と死
光と闇
右と左
そんな風に、世の中には反対のものがありますよね。
その中の一つに、 喜びと悲しみ もあります。
そのことを教えてくれている聖句があります。
『……すべての事物には反対のものがなければならないからである。……
もし事物に反対のものがなければ、義は生じ得ないし、邪悪も、聖さも惨めな状態も、善も悪も生じ得ない。
そうすると、すべての事物は混じり合って一つとならざるを得ない。
したがって、事物が一体となるならば、生も死も、朽ちる状態も朽ちない状態もなく、幸不幸も、意識も無意識もなく、死んだ状態で続かなければならない。』
(モルモン書 第2ニーファイ2章11節)
さらに聖書ではスパッとシンプルに書かれています。
『わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。』
世界には反対のものがたくさんあって、だからこそこの世界が機能しているんですね。
そしてその中の一つに、喜びと悲しみも入っています。
反対のものがなければ、もう一方のものに気付けない❢
なぜそんな反対のものがあるのでしょうか?
毎日うれしいことだけあればいいのに。
全ての人が善い事だけしていれば世界は平和なのに。
そんな風に思います。
本当に思います。
でも実際にそうなった世界を想像してみましょう。
生まれた瞬間から、完璧な世界。
その場合って、毎日がお昼??夜が来ないとか?
何かで怪我をしても痛みを感じないとか?
全員が同じ成績で、優秀な人もおらず、成績の悪い人もいない。
想像すると、なんだかそれって、ちょっと怖いです。
漫画に出てくるような、ロボットの世界みたいですね。
聖書に出てくるアダムとエバのお話を聞いたことがあるでしょうか?
ざっくり説明するとこんな感じです。
エデンの園で暮らしていた二人に、神様はいいました。
ここにあるどの木からも好きにとって食べていいが、【禁断の果実(知恵の木の実)】からだけは食べてはいけないよ。
しかし二人はサタンにそそのかされてその木の実を食べてしまいました。
それによってエデンの園を追放されたのです。
しかしもしもアダムとエバがその木の実を食べなかったらどうなっていたのでしょうか?
それについて書かれた聖句です。
『そして、アダムとエバは子供を持たなかったであろう。
また、不幸を知らないので喜びもなく、罪を知らないので善も行わず、罪のない状態にとどまっていたであろう。』
(モルモン書 第2ニーファイ2章23節)
つまり、不幸をしらなければ喜びという感情もわからないのです❢
罪がわからなければ善もわからないのです❢
同じような聖句が旧約聖書にもあります。
『あなたがたは、さきに受けた恥にかえて、二倍の賜物を受け、はずかしめにかえて、その嗣業を得て楽しむ。
それゆえ、あなたがたはその地にあって、二倍の賜物を獲、とこしえの喜びを得る』
辛いことがあったから、その後に受けた喜びは大きくなります。
不自由が辛いのは、自由だった時のことを知っているからです。
いじめを受けた時に悲しいのは、人から優しくされていた幸せな時間があったからです。
そして
同じように悲しみの中にある人を助けたいと思えるのは、その悲しみを知っているからです。
痛みを知らないと、理解もできないのです。
今の辛いことは、これからの幸せな時間に繋がっていく❢❢
つまりつまり、何が言いたいかというと……
今辛い経験をしている方、
希望を持ってください。
今のその辛い経験を抜けた時に、あなたは今よりもっと大きな喜びを得られます✨
だって、今その辛さに耐えているのですから。
そこから抜け出した時の解放感。
喜び。
家族や友人と笑顔を交わしあえること。
想像してみて下さい。
絶対、すごく大きな喜びになります❢
『アダムが堕落したのは人が存在するためであり、人が存在するのは喜びを得るためである。』
(モルモン書 第2ニーファイ2章25節)
私の大好きな聖句の1つです。
人が存在するのは喜びを得るためです❢
今が辛いのは、その後に来る喜びをかみしめるためです❢
苦い薬を飲んだ後に食べるスイーツのなんと美味しいことでしょう🍰
ぜひそれを楽しみに、今の苦難を、諦めずに進んでいってほしいと思います。
希望はあります。
悲しみや苦しみから抜け出す方法を探しましょう。
皆さんの生活に、いつも希望がありますように🍀
コツコツコツコツ……千里の道も一歩から❢ とにかく一歩を踏み出そう❢
しあわせは~歩いてこない、
だ~から歩いていくんだね~~♪
こんにちは、つむぎです😊
こんな歌がありましたよね💕
みなさんは将来の夢ってありますか?
その夢を叶えるためにどんな行動をしていますか?
将来の夢、理想の生活、理想の自分…。
そんなことを考えているとワクワクしますね❢
それを叶えるためにはコツコツ続ける努力が必要です。
ローマは一日にして成らず❢
ローマは一日にして成らず。
そんな言葉がありますね。
すごく栄えていたローマ帝国であっても、そこまでには長い年月がかかったということわざです。
残念ながら、人生はそんな簡単ではありませんね🤣
現役時代にものすごい成績を残していたイチロー選手の言葉。
『努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。』
心に響きますね。
イチロー選手も一日にして成らず。だったのですね😊
何か目標ややりたいことをするときには、やっぱり努力が必要です。
でも、努力をしたときには、その努力が報われることも本当です💡
小さなことの継続から大きなことへと繋がっていく✨
聖典にこんな言葉があります。
『記録を保存するのはわたしが愚かだからであると、あなたは思うかもしれない。
しかし見よ、わたしはあなたに言う。
小さな、簡単なことによって大いなることが成し遂げられるのである。
そして、小さな手段が度々知者を辱める。』
(モルモン書 アルマ書37章6節)
小さな簡単なことは、人によって違うでしょう。
小学生が毎日コツコツ積み上げていく小さなものは、足し算の練習かもしれません。
高校生が毎日コツコツ積み上げていく小さなものは、二次関数や確立や証明かもしれません。
大人になったら毎日のお仕事を積み上げていくことが小さなものになるかもしれません。
私が今積み上げているのは、筋肉かな?
老後に寝たきりにならないために、筋トレ続けています🤣
最終的な目標は大きなものです。
ノーベル賞をとる❢ とか
世界一周旅行をする❢ とか
老後に安心して生活できるようにする😂 とか。
でもそれは一日で達成できるものではありませんよね。
努力なしにはできません。
毎日の積み上げです。
聖書にはこのような言葉もあります。
『それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる』
(新約聖書 マタイの福音書13章32節)
からし種を例えて言われた言葉です。
最初は小さくて良いのです。
成長すれば良いのです。
コツコツ積み上げていけば、必ず成長できます。
だから、行動をしましょう。
チリツモです❢
大人の皆さん。
今からでも間に合います。
今が残りの人生で一番若い時です。
今日からスタートして、
すでに始めているかたは今日も続けて、
将来の夢に向けて、一歩ずつ進んでいきましょうね💡
自分の未来を明るくできるのは、自分自身の行動です🌞
脱!困ったときの神頼み!毎日のコミュニケーションでもっと幸せをみつけよう🍀
こんにちは、つむぎです😊
皆さん「困った時の神頼み」ってしていますか?
明日試験だ!何も勉強できていない!助けて神さま仏様!
なんてことが、私にもありました😂
その頃はまだ神様や教会のこともしらず、かと言って仏教徒でもなく。
クリスマスには🍰を食べ、
新年には神社へ行ってお参りし、
仏教学校の行事として花祭りに甘茶を飲む。
なんて、バラエティ豊かに暮らしていました(笑)
頼みごとをされる気持ちになってみよう!
困った時の神頼み……される側の気持ちに一度立ってみましょう。
例えばこんなシチュエーション。
普段ほとんど会話もしたこともないクラスメートが
「明日のテスト心配だから、今日一夜漬けで頑張ろうと思うけど、一人じゃ無理だから今日付き合って!LINEしながら朝まで勉強しよう!よろしくね!」
と、自分の返事も聞かずに立ち去られたらどんな気持ちでしょう。
しかもなんとか勉強のお付き合いをしたとして、その後
「おかげで助かった!ありがとう」
などの言葉もなく、試験が終わったらまた一切会話もしない。
逆に一夜漬けで点数があまり上がらなかった時に
「彼女に頼んで勉強したけど、ま~~ったく意味がなかったわ」
なんて周りに言いふらされたら……
どんな気持ちになりますか?
もう一つのシチュエーション。
例えばご家庭で。
いつも頑張って食事作りや掃除、洗濯をして家を整えていたあなた。
でも家族は誰もあなたをほめてくれない。
そんなのできていて当たり前。
一日疲れ切って、思い切って休んでお惣菜のご飯を食卓に並べたら
「こんなこともできないの。主婦なのにサボってる」
そんな風にもしも家族に言われたら……。
どんな気持ちになりますか?
こんなことになったら、私はとっても悲しいです。
寂しいです。
自分はなんのための存在なのか。
大切なクラスメートのために頑張ったのに
愛する家族のために頑張っているのに…
なにもかも投げやりになってしまいたくなります。
でも、こんな態度を私たちは神様にしていないでしょうか?
大切なのは、日頃からのコミュニケーション
神様は私のようにいじけたりするような小さな器ではありません。
でも、考えてみましょう。
もしも、普段から仲良くしている友人だったら……
毎日感謝を伝えてくれる家族だったら……
もっと頑張りたいって思いませんか?
もっとしてあげられることはないかと考えませんか?
それは神様だって同じだと思います。
毎日お祈りを捧げて、
「今日も美味しいご飯が食べられる祝福に感謝します」
「家族が健康でいられることに感謝します」
と、伝えてくれている人には、もっと何かしてあげたいと思うし、もっと幸せになってほしいと思ってくださると思います。
だから、もしもよく「困った時の神頼み」をしてしまう人は、困ったときだけでなく、日頃から神様とコミュニケーションをとってみませんか?
1日1回から、お祈りにチャレンジしてみませんか?
難しいことはありません。
お金もかかりません(笑)
まずは朝起きた時に1度お祈りするところから始めてみましょう。
お祈りは神様との対話です。
電話をかけてお話しする感じ。
静かな場所で落ち着いて始めましょう。
①
「神様…(または天のお父様)」
と話しかけます。
②
「~~~のことに感謝します」
と感謝のメッセージを伝えます。
自分や家族が健康であることや、
お仕事があり働けていることなど。
小さなことから、特別にあったうれしかったことまでなんでもお話できます。
③
「~~について、力を与えて下さい」
難しいお仕事を抱えているので、それを解決するためのヒントを求めたり、
お友達とケンカをしてしまったときに、謝る勇気を与えてもらえるように祈ったり、
なんでも悩み事を相談してください。
④
最後に
「このお祈りをイエス・キリスト様のお名前を通してお祈りします。アーメン」
と言いましょう。
私たちのメッセージはイエス様を通して神様に伝えられます。
5分もあればお祈りができます。
お祈りをすることを通して、自分自身が日頃からどれだけ幸せなのかを見つけることができますし、今自分がどんなことに悩んでいて、どんな助けを必要としているのかも明確になっていきます。
悩み事って人に話すと頭が整理されてスッキリしますよね。
でも話す相手を間違えると逆に責められたり追い詰められたりします。
しかし神様はあなたの話をじっくり聞いて、あなたに一番ぴったりの方法で助けを与えて下さいます。
答えは色んな方法で与えらえます。
ヒントになる言葉を本から見つけたり、何も伝えていない家族や友人からぽろっと伝えられたり。
日常の中に答えがないか、注意深く探してください。
神様とのコミュニケーションを通して、もっと私たちは幸せを感じることができます😊
気付かなかった幸せや祝福に気付くことができます🍀
ぜひ、1週間からチャレンジしてみてください。
もっともっと幸せな毎日に出会えますように💕
怒りの奥に隠された、自分の本当の気持ちを大切にする
こんにちは、つむぎです😊
私には反省すべき点があります。
それは、短気だということ😅
もちろんその短気をすぐに誰かや何かに当たり散らすことはしていませんが、イライラしている状態であることが、周囲の人に不安を与えたり、不快な気持ちを伝染させてしまったりしますよね。
その気持ちをすぐにリセットできたり、明るく発散することができたらいいな~とよく考えています。
そんな怒りの気持ちについて考えてみました。
心の奥底にある感情に気付く
以前アンガーマネジメントについての本を読みました。
そこに書かれていたことでとても気になった部分があります。
それは、怒りの感情は、もともとは別な感情であったということ。
思い当たる節はあります。
例えば先日私が怒ったときのこと。
誕生日にずっと行きたかった、気になっていたお店に行きました。
普通のこじんまりしたカフェなので予約とかはいらないだろうと、気楽な気持ちでした。
定休日は確認して、営業時間も確認して、ばっちり!と思ったんです。
しかしお店は開いていませんでした。
お店の入り口にも、定休日や臨時休業の札などもなく。
よくよくお店の口コミなどを調べてみると、営業時間は気まぐれで変更される~的なことが書かれてありました。
「お店をしているのにどうしてこんなにテキトーなの!」
という気持ちでイライラしてしまいました。
何せ片道2時間半もかけて行ったのですから…。
もちろん、電話で確認しなかった私も悪いのですが…。
そんな感じで生まれた怒りの気持ち。
このときの怒りの奥底にある本当の気持ちについて考えると、
カフェで旦那様と一緒に楽しく過ごしたかったのに、それが叶わなくてとても悲しい
ということです。
そう、私は悲しかったのです。
大切にするべきは本当の感情。争いの心をなくそう❢
聖典にこのような言葉があります。
……
争いの心を持つ者はわたしにつく者ではなく、争いの父である悪魔につく者である。
悪魔は互いに怒って争うように人々の心をあおり立てる。
(モルモン書 第3ニーファイ11章29節)
全ての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。
(新約聖書 エペソ人への手紙4章31節)
怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。
神様は怒りの感情をもつことをよしとされませんでした。
怒りや争いは、人を悪い方向へ導くからです。
そして逆に……
悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。
モルモン書にも新約聖書にも出てくるこの言葉。
ここから、怒りの奥底にあるもともとの感情については、神様は否定されていないことがわかります。
つまり、私たちはもともとの感情を大切にして、それをどう使っていくのかということは、自分自身の選択によって変えて行けるのです❢
訓練が必要です。
時間がかかるかもしれません。
それでも、変えていく価値があると思いませんか?
自分がどんな人になりたいかを明確にする
自分の完成図を想像してみましょう。
人生の終わりの頃、あなたはどんな人になっていたいですか?
些細なことでぷりぷり怒って、人を怒鳴って自分の思い通りに動かしていく人になっていたいでしょうか?
それとも失敗などはあっても、いつも心穏やかで、周りの人とも笑顔で交流できる人でしょうか?
私は後者になりたいです。
いつも笑顔でいたいです。
周りの人に感謝できる人間でいたいです。
助け合える人でいたいです。
だから、この怒りの感情をコントロールできるようになりたい。
とてもそう思いました。
訓練していきましょう❢
怒っている時には、自分の奥底にある感情を探し出しましょう。
きっと違う感情が見つかるはずです。
それを見つけたら、その気持ちを大切にしましょう。
だってそれが、自分の本当の気持ちなのですから。
自分のことを全て受け入れ、理解してくれる、ものすごい愛情の持ち主がいました💗
こんにちは、つむぎです😊
毎日暑いですね💦
わが家では旦那様と私で、エアコンの理想設定温度が違います。
私の理想のは「冷房25度」。
対する旦那様は「除湿22度」。
湿気が多いので除湿をしっかりしたいという気持ちはわかるのですが、設定温度を22度にすると私は寒くて震えてしまいます😖
性別も基礎代謝も違うお互いの理想は、やっぱり違うんだなぁと実感。
神様は私たちの状態を完全に知っておられる
なぜこんな話をしているのかと言いますと……
最近こんな聖句を読みました。
「御父は、まことに天の永遠の御父は、あなたがたの状態を御存じであり、御自分の公正と憐れみによってあなたがたを扱われるであろう。」
(モルモン書 モルモン書6章22節)
ここから私は神様の深い深い愛をとても感じました💗
それについて今日は感じたことを書いていきたいと思います😊
その気持ち、どこから出てきてるの?
先ほどのエアコン設定について、わが家はお互いなんだかんだと合わせるのでケンカをしたことはありませんが、
ついつい自分の目線で相手のことを不満に思ったり、責めてしまったり、決めつけてしまう事ってありませんか?
例えば、
一緒に食事中、相手がスマホをいじっていたら……
「一緒にいるのにどうしてそうなの?お行儀悪い人ね❢」
約束の時間が迫っていて急いでいるのに、ゆっくり歩いていたら……
「どうしてこの人は全く急がないんだ❢マイペースすぎる困った人だ❢」
などなど。
相手の悪い部分だけに焦点を当てて見てしまいます。
そして怒ったり、不満をもったり、相手にレッテルを貼ってしまったり…。
そんなことありませんか?
これは相手の行動を自分の物差しで測っているからです。
一人一人の状態を考える
👆の例で考えると、
食事中のスマホは、もしかしたらその人にとって、
「今どうしても調べたいことがある」のかもしれないし、
「仕事・仕事で、今しか世間の情報を仕入れる時間がない」のかもしれません。
急いでいるのにゆっくり歩くのは、
「早く歩くと足が痛い」
「口に出していないけれど体調が悪い」
「ゆっくりに見えて、その人にとっては最速で歩いている」
などがあるかもしれません。
もちろんそれでこちらの不満がなくなるわけではありませんが(笑)
でも、反対の立場になったことも、きっとみんなあるはず。
「頑張ってやった仕事だけど、遅いと怒られた」
「相手のために作った料理だったけど、美味しくないと言われた」
などなど。
他にも、
彼氏のために素敵なプレゼントを用意したくて、別な男性にアドバイスをもらっているのを全く他の人が見て、「浮気している」なんてレッテルを貼られる……
なんて、少女漫画では一時期あるあるな展開でしたよね🤣
そんなの実際あるわけない~❢
と、思っていますか?
かなり頻繁にあることだと、私は思っています。
実際私にもそんなことがありました。
一人暮らしの若い男性の生活があまりに心配な状態だったので、おせっかいにも、できるだけ良いものになるように協力してあげたいと思って助けていた時、周りの人に
「付き合ってるの?」
「若い子にばっかり手出してちゃだめよ」
なんて、言われたことがあります😢
確かに私も出すぎた真似だった部分もありますが、本人はそのことを喜んでいたし、やましいようなことはないのに、周りからどうしてそんなことを言われなければ??
と、とても悲しく思ったことがあります。
だから、私自身はなるべくそのようなことがないようにできるだけ気をつけたいと思っています。
もちろん完全ではありませんが。
理解できるように日頃から相手のことに興味関心を持って、よく話を聞くことって大事ですよね。
神様は一人一人の状況を完全にご存じです
もう一度、先の聖句を引用したいと思います。
「御父は、まことに天の永遠の御父は、あなたがたの状態を御存じであり、御自分の公正と憐れみによってあなたがたを扱われるであろう。」
(モルモン書 モルモン書6章22節)
強調❢
そうなんです。
ここが、私が「すごい❢」と感じた部分です。
神様は私たちの行動の理由等、全てご存じなんです。
できることもできないことも知っていらっしゃって、
どんな思考パターンがあって、どうしてこんな風に考えてしまうのかもご存じです。
自分の嫌な部分があったとして、
もしかしたら一部の人は「そういうところ嫌い」と言ってくるかもしれません。
でも実は自分自身その悪い部分を知っていて、直そうと努力している最中かもしれない。
周りの人はそれを知らない。
でも神様はその悪い部分も、直そうとしている努力も、全てご存じ。
さらに、自分でもわからないかもしれない、「どうしてその悪い癖や思考がついてしまったのか」ということまでご存じです。
その本当にまるまる全ての私たちをご存じなので、それをふまえたうえで私たちに必要な助けを、必要なタイミングで与えてくださるのです。
すごいですよね❢
あなたには、そのぐらい理解している相手はいますか?
私はまだ自分の旦那様のことも、ずっと一緒に居た家族のことでも、そこまで理解していると思える人はいません。
どれだけ相手に関心があれば、そのくらい相手を知ることができるのでしょうね😊
そう考えると、本当に神様は私たちをとてつもない愛情をもって見守っていてくださるのだなぁと感じます。
し あ わ せ 💗
日々感謝を忘れないで生活したいと改めて思いましたのでした💗
完成図はどんな自分?自分レシピ、味の決め手は行動力❢
こんにちは、つむぎです😊
主婦になってから早1年半が経ちました。
大分と料理に慣れてきましたよ♪
もくじ
自分レシピの存在を意識する
料理をしているとレシピをよく見ます。
COOKPAD先生にはたいへんお世話になっています😁
レシピを見ていると、だいたい完成写真が載っています。
ただ出来上がっているだけでなく、見た目も美しく、彩りよく、食欲が湧いて写真映えするように並べられている美しい写真です。
作る時はそれを目指して、材料・調理方法を読みながら料理をしていきます😊
同じように、私自身にもレシピがあるんじゃないかなって思う時があります。
自分レシピの完成図。
それは神様の目から見た自分です。
人生で出会う人、起こる事が、自分レシピの材料と工程になる
じゃあ自分レシピの材料ってなんでしょうか?
それは、この人生で出会う人だと思います。
- 実家家族
- 旦那様
- 旦那様の家族
- 🐈
- 親戚
- 友人
- クラスメイト
- 学校の先生
- 職場の人
などなど。
その材料が色々なタイミングで調合されていって、完成形に向かっているんだと思います。
今までの人生が、調理中の出来事です。
甘さを加えてくれる人もいれば、苦みや辛みを足してくれる人がいます。
でもそれも全て必要なことなのかな、と。
時には自分で味付けを変える❢
そう考えていると、
「自分には完成がどんなものかもわからないし、材料も変えられないから流れに任せるしかない」
と思いたくなることもありますが、そうではありません。
面白いことに、完成図に近づくかどうかは、本当に自分次第です。
例えば、材料の配合は自分で変えることができます。
学校のクラスメイトは変えられないかも知れません。
でも、クラスメイトの中の誰と時間を多くして、誰との時間を減らすのかは、自分で決められます。
両親は変えられませんが、両親とどのように関わっていくのかは変えられます。
そんな風に、神様の目から見た自分…または、理想的な将来の自分を想像したときに、その完成図に近づけるように分配することができます。
同じように、困難や試練など、辛い経験に対してどう行動していくかによっても、完成図が変わります。
進捗率は今どの辺?
さて、あなたはレシピの完成形から見ると、今どのあたりでしょうか?
老後も健康でいたい
と思って、筋トレや運動を習慣にされている方。
本当に素晴らしいですね❢
今は短気だけど、人に対して怒らないようになりたい
そう考えて、アンガーマネジメントの勉強をしている方、尊敬しています❢
あなたの完成図に対して、今足りないものはなんでしょう?
もっと伸ばしたい部分はどこでしょう?
色んな経験をしていく中で、段階的に「もっとこうしよう」と思う部分もたくさん増えていくでしょう。
いつも微調整が必要です。
このままだと完成図と違うものになるかも?
そう思ったら、軌道修正をかけていきましょう😊
いずれにしても必要なのは行動です。
自分の行動で、すべてが変わります。
ガラッと変えることはできないかもしれないけど、少しずつ変わります。
変えていきましょう。
でも時々は休憩タイムも必要。
そんなときは、🍨でも食べながら、休みましょうね💖
何歳になっても、残りの人生で、今が一番若い時❢
人生はまだまだ続きます❢
楽しみましょう😊
自分の完成写真を彩るためにも、色んな事にチャレンジしていきたいですね。
一人じゃない❢が、幸せを大きくするコツ🍀
こんにちは、つむぎです😊
夏本番❢
いつもと違う夏ではありますが、今年ならではの思い出をたくさん作れそうですね。
あなたは誰との思い出を作りますか?
目次
誰かと一緒って、特別❢❢
誰かと一緒だからうれしい。
誰かと一緒に喜ぶから、思い出に残る。
誰かと一緒だから、幸せ。
そんなことってありませんか?
私は人と共有することが楽しいです。
例えば、美味しい物🍨
一人で食べるのももちろん美味しいです。
でも、旦那様と一緒に食べた時、お友達と話しながら食べた時、その美味しさが膨れ上がります✨
味だけでなく、その時お話したことや、行ったお店など、色んな思い出が残って幸せになります。
苦しみを分かち合うことも、喜びに繋がります。
高校の時にお友達と集まってよくテスト勉強しました。
一人だと集中できます。
でもお友達と一緒だと、教えてもらったり、相談したり。
途中の雑談が長くなってしまうこともありますが、テストが終わった時の解放感と同時に生まれる友人との一体感、達成感は、一人では味わえません。
私にとってそれは、一人では得られない特別な経験です。
感謝の気持ちから生まれる喜び
テストで良い点を取った❢
そんなときにどのように喜びますか?
一人でガッツポーズしますか?
それとも、誰かに感謝したり、喜びを伝えたりしますか?
良い点を取れた要因として、自分の頑張りはとても大きかったことでしょう。
しかし自分以外にも、
勉強に集中できるように家族が配慮してくれた
わからない部分を、先生やお友達が教えてくれた
休んでいた分のノートを見せてくれた人がいた
自分を高めてくれるライバルがいた
疲れた時に癒してくれる🐈がいた
などなど
たくさんの要因がありますよね。
テストやその他、たくさんの嬉しい成果は、一人で喜ぶこともできます。
でもそれを周りの人と分かち合い、助けてくれた感謝を伝え、うれしい気持ちを共有することができれば、その喜びはもっと膨れ上がっていきます💖
「神に栄光を帰す」は、愛のメッセージ
なぜこんなことを考えたかというと、聖書を読んでいたときのことです。
群衆は皆食べ終え、飲み終えると、見よ、彼らは御霊に満たされた。そして、彼らは声を合わせて叫び、自分たちが見たり聞いたりしたイエスに栄光を帰した。
(モルモン書 第3ニーファイ20章9節)
彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。
(新薬聖書 ローマ人への手紙4章20~21節)
などの表現を読み、栄光を神に帰す…って…?
ニュアンス的にはわかるけど具体的に??
と悩んでしまいました。
そして「栄光」という言葉の意味や、「栄光を帰す」という言葉についてネット検索し、色々な方の解釈を読みながら思考しました。
そして、浮かんだ私なりの理解が、
その成功や喜びを自分一人のものにするのではなく、祝福を与えてくださった神様に感謝し、共に喜んで幸せを感じることだと思ったのです。
そう、それは日常的に私が喜びを感じていたことと同じ。
お友達や家族に感謝するように、神様にも感謝して、喜びを分かち合っていくのが良いんだ❢ということ。
そうして思いました。
神様はいつも私たちを見守っていてくださり、必要なときに力を与えてくださり、そして一緒に喜んでくださる存在なのだと。
とても愛を感じます🥰
この神様からのメッセージを受けて、私はますます幸せになりました。
私はいつでも一人じゃないんです。
例え旦那様が出張中に家で一人ぼっちだとしても、いつもそばで見守っていてくださる人がいるのだと。
そう考えると、心がほんわりしますね😊💗
2020年。
例年とは違う、特別な夏。
一緒に暮らす旦那様や、実家家族・大切な友人と、そして何より、いつも見守ってくださっている神様とともに、たくさんの喜びや幸せを共有していきたいです。
皆さま、体調に気を付けて楽しい夏をお過ごしください🌞
人の幸せを願うから、自分も幸せになれる🥰
こんにちは、つむぎです😊
大雨での災害が増えてきていますね。
私も東北在住なので、今朝ようやくすっきりと晴れて一安心しています。
しかし地域によっては、川の氾濫や床上浸水などの被害も出ているというニュースを見ました。
たいへんな苦悩の中にいらっしゃる方も多いと思います。
今日はそんなときにみんなができることについて書きたいと思います。
⭐ コンテンツ ⭐
自分には関係ない…ではなく、誰でもできることがあります❢
何か災害があったときに、自分に何ができるのかを考えます。
- ボランティアに参加する
- 募金をする
- ふるさと納税する
- 祈る
その時の選択肢がこちらです。
知人の場合はすぐに連絡を取って~などができると思いますが、多くはそうでない場合が多いですよね。
そんなときの選択はだいたいこうなります。
そして、すぐに行動にうつすことができるのが「祈り」です。
祈りによって得られるもの
「お祈りに意味なんてあるの?」
実は、あるんです❢
クリスチャンの人も他の宗教の方も、よくお祈りしていますよね。
世界中でお祈りをしている人の数は50億人くらいになるのではないでしょうか。
祈っている対象や内容はそれぞれ違うかもしれませんが、それだけの人が全く意味のないことをしているとは思えませんよね。
では、私はなぜお祈りをするのか?
それは、祈りを通して神様とお話をすることができるからです😊
そして私はこの時神様に
- 幸せについて感謝し、
- 自分の望みについて相談し、
- 他の人も神様の祝福を受けられるように
お祈りします。
お祈りは誰でも行うことができます❢
お祈りすることは自由です。
資格などいりません。
誰でもお祈りすることができます。
私たちのお祈りの方法はこのようにします。
- 「天のお父様(神様)…」 と、呼びかけます。
- 「〇〇に感謝します」 と、幸せに感じることやうれしかったことを伝えて、感謝します。
- 具体的な相談をします。
例:⭐夜にぐっすり眠れるようにするための方法を知り、それを実行できる力をください。
📚今日試験を受けるために不安でいっぱいです。本番の時間に落ち着いて、勉強したことを思い出せるように助けて下さい。
🏠災害で被害にあった方が心配です。その方々がまた落ち着いて生活をすることができるように、多くの方が関心を持ってそれぞれにできる助けを行えますように。そして、被災された方々が、勇気と力と知恵を得て、元の生活に戻る努力をすることができますように。
などなど。 - 「全てをイエス・キリスト様の御名を通してお祈りします。アーメン」 という言葉で終わります。
これが一連の流れです。
ぜひお祈りしてみてください😌
そしてお祈りした後は、普通に生活する中で、祈った内容についてよく考え、その答えを意識して探してください。
私はよくその答えを
- 聖典から
- 家族や友人の言葉から
- 動画やTVから
- ふとした思い付きから
受けることがあります。
お祈りすることで得られるメリット❢
お祈りのメリットは、お願いが叶えられるだけではないのです。
他にも物理的?にこんなメリットがあります。
お祈りをするときには頭の中で言葉をよく選びます。
そして心を落ち着けて、ゆっくりと話します。
それによって、自分の思考が整理され、またゆっくりと声に出すことでざわついていた心が落ち着くこともあります。
そして、誰か人のために祈る時に、相手のことをもっと好きになる事ができます。
同時に、誰かのために何かをしたとき、時間的余裕が生まれ、自分の心にも余裕ができ、仕事や活動の生産性も上げることができます。
お祈りの祝福はとても大きいです💖
人の幸せを願うことで、自分が幸せになれる
人は一人では生きていけません。
生まれた時からそうです。
人は助け合って生きてきました。
だから、自分が幸せになるには、周りの人にも幸せになってもらう必要があるのだと思います😊
不幸な人ばかり見ていると心が辛くなりますよね。
幸せな人を見ていると、こちらまでうれしくなります。
そういうことです。
みんなで幸せになるために、お互いに相手の幸せを望む。
そんな当たり前のことが、当たり前にできるような世界になりますように。