無理することが大人じゃない。ただ、一歩一歩、成長し続ける
あけましておめでとうございます❢❢
本年もよろしくお願いいたします。
ということで…こんにちは、つむぎです😊
お久しぶりの投稿です。
今週のお題が「大人になったなと感じるとき」だったので、なんだか思うところを書けそうだなと思って、パソコンに向かい始めました。
いつになっても子供だと思う時
テーマと真逆ですが、最近「自分はまだまだ子供だなぁ」と感じました。
今年ついに40歳にもなるというのにです🤣
それはどんな時かというと、
「自分の思い通りにいかなくて、イライラしてしまうとき」です。
ただのわがままじゃないか❢という🤣
もちろん、「今日の夕飯はこれが良いのに、旦那様に合わせないといけない❢」なんて、本当に子供っぽい時も……あるときもあります(笑)
けれども社会で働いていたり、学生という肩書があるときに幅を狭められてしまうこともありますよね。
自分はこうしたらもっとよくなるのではないか?
そう思って企画したり、チャレンジしたり、要望を出したりしたりするけれども、
「予算を取ってないから今度ね」
「それより先にすることあるでしょう」
「君にはまだ早いよ」
なんて言われてしまったり…。
そんな時に、「自分は信頼がないんだ…」と考えてずーーんと気持ちが落ち込んだり、反発したくなったり、いじけてふて寝してみたり……。
そんな自分を見つめて、
「あぁ…自分って子供だなぁ」と思います。
今の自分に必要なことを見つめ直すようになったとき、大人に近づく
そんなとき、少し時間が経って心が落ち着いた時に、もう一度考えるんです。
あのメッセージから私が本当に学ぶべきことはどんなことだろうか?
例えば、予算がないから…と言われたということは、言外に
「そのプロジェクトには他の予算を削って投資するだけの価値はない」
という判断だったのかもしれません。
自分の伝えたかったことを伝える技術や方法が間違っていたのかもしれません。
「君にはまだ早いよ」
ということは、子ども扱いされている、能力がないと思われている…というだけでなく、もっともっと伸ばせる能力があると思われているのかもしれないし、その行動を起こせると思ってもらえるような行動をしていないのかもしれません。
もしかしたら考えに固執しすぎて、周りが見えていないのかもしれません。
そんな風にどんな状況にあっても、学ぶ事ができます。
アプローチの仕方を変える必要があるとか。
周りの人ともっとコミュニケーションや助け合いをしていく必要があるとか。
綿密な企画や、行動に起こすまでの物理的な準備が必要だったりとか。
「相手がわかってくれない❢」
という前に、自分にもできることがあるのです。
そのように考えられるようになったときに、
「あぁ、少し成長できたかな」
と思えるようになります。
最近読んでいる面白い本
最近図書館で面白い本を借りました💡
こちらの本です。
絵がミュシャ風で綺麗だったのと、聖書の中ではあまり多くない女性に焦点を当てているのが面白くて、うっかり借りてしまいました😊
この本では聖書に書かれている内容に添って、聖書に出てくる女性たちがどのような行動をしていったかを紹介しています。
その解説について、すべてが正しいとか正しくないとか、そんなことは読む人が感じるままに、色々考えていけばいいかなと思ったので今は触れませんが…。
私がすごく納得した部分だけを少しご紹介したいと思います。
「聖書におけるヒロインのものがたりは、思いのほかドロドロしている。
…………どうしてそんな話が聖書にあるのかと首をかしげたくなる。
ところが、そのような経歴の女性たちが『マタイによる福音書』では、イエス・キリストの男性の先祖ばかりの系図で名指しされるという特別の地位を得ている。
…………聖書のものがたりは残酷な現実をそのままに語る。だがそれでも希望を失わなかった女性たちがいたことは驚きでさえある。絶望的な時代状況の中で神と対峙し、未来を信頼することをやめなかった女たちがいたのだ。」
はじめにの文章から抜粋しました。
すごく心に響きました。
現在の女性も、もちろん男性も、たいへんな苦境にいらっしゃる方は多いでしょう。
けれどもそれは決して今の時代が特別なのではありません。
悩みの種は全然違うかもしれませんが、いつの時代の人も、たくさんの悩みや絶望するような状況になることもあるでしょう。
聖書の中でもそのことについて触れられています。
聖書の中に出てくる多くの人たちは、決して完璧ではありません。
預言者と言われた人物さえ、間違いも起こしますし迫害も受けますし、失意のどん底になるような状況にある人がいます。
このはじめにのメッセージで気付かせていただけたことは、そのような状況の中でさえ、人は神様を求め、希望を見出すことができるということです。
そしてそのような人を神様は認めてくださるということです。
私たちが百点満点を取らないと認めてくれない。
神さまは決してそんなお方ではありません。
大切なのは、今の私たちの状況の中にあって、最善をつくす努力ができるかどうかです。
私たちを慰めてくれる聖句
聖典には私たちを励ましてくれる言葉がたくさんです😊
今日は、努力をしたのに結果がなかなか出ない…むくわれない…そんな風に思ってしまう時に私たちを励ましてくれる聖句をご紹介します♫
これらのことはすべて、賢明に秩序正しく行うようにしなさい。人が自分の力以上に速く走ることは要求されてはいないからである。しかしまた、賞を得るために勤勉に励むのは必要なことである。したがって、何事も秩序正しく行うようにしなさい。
(モルモン書 モーサヤ書 4章27節)
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。
(新約聖書 ピリピ人への手紙 2章16節)
わたしヨハネは証しする。わたしは御父の、恵みと真理に満ちておられる独り子の栄光としての、すなわち世に来て肉体に宿り、わたしたちの中に住まわれた真理の御霊の栄光としての彼の栄光を見た。
また、わたしヨハネは、彼が最初から完全は受けず、恵みに恵みを加えられたのを見た。
彼は最初から完全は受けず、恵みに恵みを受け続け、ついには完全を受けられた。
(教義と聖約 93章11~13節)
私たちは、何歳になっても人生一年生です❢
失敗だってします。
でもそこから学べばいいんです。
いつも成功じゃなくていいんです。
努力していけば良いんです。
だから、諦めないでいきましょう。
絶望ではなく、新しい希望を探しましょう。
無理をせず、自分のペースで、ゆっくり進んでいけば良いんです。
自分を責めずにいきましょう。
前を向いて歩く。
足を一歩前へ出す。
それを繰り返していきましょう。
どうかこの大変な状況下にあっても、みなさんが希望をもって生活できますように、心から願っています🍀