怒りの奥に隠された、自分の本当の気持ちを大切にする
こんにちは、つむぎです😊
私には反省すべき点があります。
それは、短気だということ😅
もちろんその短気をすぐに誰かや何かに当たり散らすことはしていませんが、イライラしている状態であることが、周囲の人に不安を与えたり、不快な気持ちを伝染させてしまったりしますよね。
その気持ちをすぐにリセットできたり、明るく発散することができたらいいな~とよく考えています。
そんな怒りの気持ちについて考えてみました。
心の奥底にある感情に気付く
以前アンガーマネジメントについての本を読みました。
そこに書かれていたことでとても気になった部分があります。
それは、怒りの感情は、もともとは別な感情であったということ。
思い当たる節はあります。
例えば先日私が怒ったときのこと。
誕生日にずっと行きたかった、気になっていたお店に行きました。
普通のこじんまりしたカフェなので予約とかはいらないだろうと、気楽な気持ちでした。
定休日は確認して、営業時間も確認して、ばっちり!と思ったんです。
しかしお店は開いていませんでした。
お店の入り口にも、定休日や臨時休業の札などもなく。
よくよくお店の口コミなどを調べてみると、営業時間は気まぐれで変更される~的なことが書かれてありました。
「お店をしているのにどうしてこんなにテキトーなの!」
という気持ちでイライラしてしまいました。
何せ片道2時間半もかけて行ったのですから…。
もちろん、電話で確認しなかった私も悪いのですが…。
そんな感じで生まれた怒りの気持ち。
このときの怒りの奥底にある本当の気持ちについて考えると、
カフェで旦那様と一緒に楽しく過ごしたかったのに、それが叶わなくてとても悲しい
ということです。
そう、私は悲しかったのです。
大切にするべきは本当の感情。争いの心をなくそう❢
聖典にこのような言葉があります。
……
争いの心を持つ者はわたしにつく者ではなく、争いの父である悪魔につく者である。
悪魔は互いに怒って争うように人々の心をあおり立てる。
(モルモン書 第3ニーファイ11章29節)
全ての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。
(新約聖書 エペソ人への手紙4章31節)
怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。
神様は怒りの感情をもつことをよしとされませんでした。
怒りや争いは、人を悪い方向へ導くからです。
そして逆に……
悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。
モルモン書にも新約聖書にも出てくるこの言葉。
ここから、怒りの奥底にあるもともとの感情については、神様は否定されていないことがわかります。
つまり、私たちはもともとの感情を大切にして、それをどう使っていくのかということは、自分自身の選択によって変えて行けるのです❢
訓練が必要です。
時間がかかるかもしれません。
それでも、変えていく価値があると思いませんか?
自分がどんな人になりたいかを明確にする
自分の完成図を想像してみましょう。
人生の終わりの頃、あなたはどんな人になっていたいですか?
些細なことでぷりぷり怒って、人を怒鳴って自分の思い通りに動かしていく人になっていたいでしょうか?
それとも失敗などはあっても、いつも心穏やかで、周りの人とも笑顔で交流できる人でしょうか?
私は後者になりたいです。
いつも笑顔でいたいです。
周りの人に感謝できる人間でいたいです。
助け合える人でいたいです。
だから、この怒りの感情をコントロールできるようになりたい。
とてもそう思いました。
訓練していきましょう❢
怒っている時には、自分の奥底にある感情を探し出しましょう。
きっと違う感情が見つかるはずです。
それを見つけたら、その気持ちを大切にしましょう。
だってそれが、自分の本当の気持ちなのですから。